杉 良太郎(すぎ りょうたろう、1944年8月14日 - )は、日本の歌手、俳優、財団法人日本・ベトナム文化友好協会理事長。法務省特別矯正監。外務省日本ベトナム特別大使。ベトナム社会主義共和国ベトナム日本特別大使。
本名:山田 勝啓(やまだ かつひろ)。兵庫県神戸市長田区出身。神戸市立長田小学校出身。高浜海員学校中退。現在の夫人は演歌歌手の伍代夏子。息子の俳優山田純大は、先妻との間の子。またベトナム人の里子[1]がいる。主な役職として特別矯正監などがある。特技は合気道、段位は養神館合気道5段。2008年、栄典・表彰歴としては緑綬褒章受章など。麻薬追放協会の会長。
慈善活動
刑務所への慰問活動も積極的に展開し、“矯正活動への多大な貢献”により、法務省から、史上初となる「名誉矯正監」を拝命。その間の刑務所視察の功績が認められ、2008年には「特別矯正監」を法務大臣より任命される。長年にわたり刑務官・受刑者に対し多くの意見交換・講演などを行っている。
日本とベトナムとの親善にも20年間たずさわっている。教育施設の設置、無償援助に積極的関わりベトナム政府から特別友好大使を委託されている。1997年12月には、国家主席チャン・ドゥック・ルオンより友誼勲章(外国人に贈る最高位の勲章)を受賞した。また、ベトナム人の里子は43人に及ぶ。
2008年4月29日、受刑者更生支援等奉仕者として芸能人として初の緑綬褒章を受章。翌2009年には芸能活動の功績が認められ紫綬褒章を受章。
2009年2月の皇太子徳仁親王ベトナム公式訪問では、現地での案内説明にたずさわる。
2011年3月に発生した東北地方太平洋沖地震をうけて同地への支援活動を開始。大量の救援物資を載せた車両12台を手配し[4]、自ら炊き出しを行った[5]。1995年の阪神・淡路大震災で実家が被災し、以降被災地への支援活動を継続的に行なっており、2004年の新潟県中越沖地震でも精力的な活動を行なっている。
平成22年度、内閣府「災害被害を軽減する国民運動サポーター」に就任。
作詞 : 杉 良太郎
作曲 : 遠藤 実
編曲 : 若草 恵
(セリフ) 昨日ひとりの男が死んだ
戦って戦って ひっそり死んだ
あいつは何の取り柄もない
素寒貧な若者だった
(歌) しかしあいつは知っていた熱い涙を
戦って死ぬことを
どうして死んだのかとは
訊かない訊かない
でもあいつの青春は
何処へ何処へ埋めてやればいい
(歌) 君は人のために死ねるか
(セリフ) 君は人のために死ねるか
(歌) あいつの名はポリスマン
(セリフ) 昔 人は戦で死んだ
国のため戦って 黙って死んだ
いま熱い血はどこにもない
泣くことさえ人は忘れた
(歌) しかし世慣れたささやきや薄ら笑いで
幸せを守れるか
明日に男が死んで
消えても消えても
花も言葉もいらない
風が空を過ぎたら忘れてほしい
(歌) 君は人のために死ねるか
(セリフ) 君は人のために死ねるか
(歌) そいつの名はポリスマン
(歌) 許せない奴がいる
許せないことがある
だから倒れても倒れても
立ち上がる立ち上がる
おれの名前はポリスマン